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これからお話するのは、以前の仕事を捨ててラーメン業界に足を 踏み入れるまでの私の日々、人との出会いの物語です。 |
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プロローグ 平成4年夏「広告収入がすっかり減って、これ以上続行は無理と会議で決定した。 本当に申し訳ないけど9月号をもって休刊と決まった。不景気なんだね」 新しいタイプの音楽月刊誌を作ろうと声を掛けてくれ創刊号より10年、共に頑張って来た出版社 のA氏は渋谷の喫茶店ですまなそうに切り出した。一冊丸ごとその大手出版社より制作依頼され ていたので社員は約20名を抱えていた。そのスタッフの今後は出来る限り応援してくれるとも 話してくれた。 カメラマンから編集者に移行したばかり、シロート同然だった私を一人前のエディターに育てて くれ、この雑誌の続行を最後まで主張してくれたA氏にはむしろ感謝の気持ちでいっぱいだった。 3ヶ月後、その出版社に迎えられた者、フリーとして独立した者など、それぞれのスタッフは次の ステージに旅立って行った。 アワーハウスを設立して10年、その雑誌をはじめ、写真集、単行本、ムック本と様々な 仕事を企画、制作してきた。それは頭の中に閃いたアイデアから「本」という物(商品)を作る という、言ってみれば「無」から何かを作り出すという経験を与えられたわけで、これは私に とって貴重な財産になったと思う。その財産をこれからいったいどう使うのか、社員のことや 事務所整理に追われ自分の今後のことを考えるのがとうとう一番最後になってしまった。 ただ漠然と次は大手から仕事を受けるのではなく、自分のオリジナルのもので勝負したいという 気持ちが次第に強くなっていた。 事務所の引き渡しを済ませたその日の夕食後、私は妻にこう切り出した。 「俺、ラーメン屋になる」 |
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修業先と店舗探し 東京から車で約2時間の地にセカンドハウスを建てたのが平成元年のこと。 毎週末はそこで過ごし、近くで見つけたラーメンの味がとても気に入り 「東京に出店したら毎日でも食べに行くのにネ」と妻とよく話をしていた店がある。 その店頭に「あなたもこの味で店を始めませんか」と小さく張り紙がしてあったことが 私の記憶の端にとどまっていて、実は休刊の話があって以来、頭の中でその張り紙が だんだん大きくなっていたのだ。 学生時代は腰まであった長髪のため飲食店のアルバイト経験はナシ。でも料理を作ること、 食べることが大好きだった。自分の企画力とこの味があればきっと成功する。思いこんだら 一直線。まるで周りが見えなくなってしまう私は、もう事業計画を練りはじめ、成功する イメージがいっぱいに膨らんでいた。 社員に退職金を支払ったばかりで手持ちの金はわずか。 それに未だ残る銀行の返済を考えると頭の中は真っ暗なはずなのに、、、、、 修行の交渉は次のようなものだった。「味の伝授料200万円。その他すべて教えます」 ビジネスの世界に居た人間にとってはなんとも大ざっぱな内容、まあいわゆるFC (フランチャイズ)の一種である。とにもかくにも、もう頭の中では出発してしまっている。 200万円を高いと思うか、安いと思うかは自分次第である。いささか稚拙な契約書にサインした。 もう後戻りは出来ない。 東京に戻り早速店舗探しを始める。明大前、笹塚、浦和、高円寺etc、、、とにかく駅に近い所 が良いのかなと、まったくのシロート考え。ずいぶん見て回ったつもりだったが、今思えばたった 10件目で阿佐ヶ谷の店を見つけた。北口から徒歩3分、ラーメン屋の居ヌキである。 不動産屋の担当者によると「場所は最高ですよ。人通りも多いし駅に近い。何しろ前の人は 売り上げが良すぎてその分配でケンカになり店を閉めちゃったくらいだよ。お客さん列ぶよ!!」 ラーメン業界に燃える私はこの言葉を真に受けバラ色の行列店を夢見てしまった。 これから始まる荒海への航海はこうしてスタートした。 |